こんちわ。
半年ぶりだね。
リアルが(主に精神的に)忙しくて書く暇が無かったよ。
本日は、最近キレたくなるようなことが起きたので、久々に綴っていくよ。
こんな感じの内容で書いていくよ。
クソ長いですが、最初から最後まで読んだ方がしっかりと理解できると思う。
Twitter機能用語は各自で調べてね、元々長いのが更に長くなるから。
俺の身に起きたとある出来事
これはTwitterで、俺ととある人物との間に起きたこと。
先に断っておくけど、その人物特定しても、その人本人には何も言わないでね、面倒くさいことになるだろうし、それは避けたいからね。
まず前提として、相手は俺のことを、「何でも話聞いてくれる、三姉妹で癒やしてくれる優しい人」という認識でいた…らしいということは一応把握しておいてね。
その上でこちらをご覧ください。
一応プライバシーとか色々あるので名前は伏せておきます。
簡単に流れを説明すると、俺が誤解を生む様な言い方を含んだツイートをした結果、ブロ解された後、今回は俺が原因なのわかっていたので、自分から俺なりには誠意込めて謝罪したけど、スルーされて相互ブロック状態になった、といった感じ。相手の該当ツイートは、俺の別アカに偶然流れてきたのを見ただけというね、運が無かったね。どうでも良いと言ってるから書いてるけど。まぁそもそも俺のことかどうか怪しいけど、おそらく俺のことでしょう。そう仮定しておく。
まぁ実際に原因は俺にあるのも、俺が悪いのも事実なのもわかっているし、言葉選べっていうのも正論だとは思うよ。
許す許さないも、信じる信じないも、決めるのは相手であって、俺じゃないからそこも言及する気は無いよ。
でも今回言いたいのは、そこじゃないんだよね。
まず「いつまで過去のことを」のところね。
はっきり言うけど、
簡単に忘れられたりできたら、どれだけ楽だと思ってるんだよ。
って感じ。
まぁ実際すぐに忘れたり、切り替えることができる人っているんだけど、俺を含めてそういう人ばかりじゃないからね。それができる人が羨ましくて仕方がない。
嫌な記憶、トラウマに限っていつまでもわりと鮮明に覚えてるし、フラッシュバックもするのよ。
簡単に忘れられたらどれだけ楽だろうね、そういう人が羨ましいもんだよ。
もう一つは「まるで被害者みたいな発言」のところね。
一番言いたいのはこれに対してでね。
これも先にはっきり言うわ。
もし本当に被害者面してたらまず謝罪自体しないだろうがよ。
ということね。
流れを説明している部分で、「自分から誠意込めて謝罪した」と書いてあると思うんだけど、証拠こそ撮り忘れたけど事実なのよね(まぁ最もそういうときに嘘吐かないし吐きたくもない)。
んで実際皆さんどうですかね。
謝罪って「自分が悪いと認めたから行うもの」だと思うわけで。
被害者面って「自分は何も悪くない被害者である」っていうことで、とても自分から謝罪するっていう行動には結びつかないと思うわけで。
少なくとも俺は、本当に自分が悪くなかったらわざわざ謝罪しない。
それなのに、信じないとか許さないとかは別に良いとしても、謝罪した事実自体無かったことにして批判するのは違うと思うわけで。
まぁそんなことがあったっていう話をしたところで次行きます。
世間一般での他人への信頼(信用)の真実
では、そろそろタイトルの1つ目暴露します。
先程の話を踏まえた上での内容となってます。
Twitterで言ったこともあるんですがね。
こちらをご覧ください
これを例えると、そこに優しくて純粋でイケメンな一面を持つ人がいるとする。でもそれはあくまで、「その人の一面」に過ぎないわけで、人って絶対に長所と短所、表と裏があるわけだから、その一面だけで、その人のことを判断しない方が良いってこと。
— ナオガクルガ(@迅竜と人間のハーフ) (@ROCKMH7010) 2021年9月20日
字数足りないのでスレッド(リプ)に続く。↓ https://t.co/MiOdEIgJmx
その一面しか見ずに、そこにばかり盲信しているのは、それは本当の信頼とは言わずに、「そういう人であることへの過度な期待」でしかない。
— ナオガクルガ(@迅竜と人間のハーフ) (@ROCKMH7010) 2021年9月20日
その結果、誤解を生んだとき等に、本当のことを言ってるにも関わらず、聞こうとすらもしない、そして自分勝手に幻滅して傷付く。なんてことが起こるわけだよ。
まぁこれらは俺のツイートなんで名前伏せる必要は無いでしょう。
これらを使って解説すると、
「純粋で優しいイケメンな一面を持つ人」
に、
「あなたのそういう所が私にとって都合が良いので、そういう存在でずっと在り続けて下さいね(さもないと絶交してあなたのことを色々と終わらせます)」
と言っているようなもの。
つまりそれは、
「純粋で優しいイケメンであることを強制され続けている」
ということと、
「その強制に反発したら、有無を言えず絶交され、形を問わず否定される」
ということであるわけでね。
更に言い換えると、それって、
『純粋で優しいイケメンであることに「過度な期待」を抱いている』
ということに他ならないわけで、
「本当の信頼(信用)」ではないわけよ。
さっきの話の「俺の身に起きた出来事」の内容にも通じるところがあるだろう。
「何でも話聞いてくれる癒してくれる優しい人」であることを強制し、誤解であろうとも、その強制に反発すれば、有無を言わさず絶交し否定する。
正にそのままだろう。
世間(世の中)では、その「過度な期待」を「信頼(信用)」だと言っているのだから、本当にタチが悪いね。仮に信頼だとしてもその程度なのだからたかが知れてる。まぁバカなだけとも言えるかもしれないが。
でもそれが現実。
現実って本当にそんなもん。
良いが悪いかはさておき。
まぁ非情ではあるだろうな。
じゃあそれらを踏まえて、本当の信頼(信用)って何なのか?
ということで次に行きます。
本当の意味での他人への信頼(信用)とは何か
おまたせしました、それではタイトルの2つ目暴露します。いくつかの要素があるので分けて紹介します。
まずはこちら。
「相手の様々な内面(特に悪い所)を知った上で付き合っているか。」
1つ目の要素はこれです。
以下のツイートをご覧下さい。
まぁ何が言いたいかって言うと、人は一面だけで判断せず、様々な面を見た上で判断しようね、ってこと。
— ナオガクルガ(@迅竜と人間のハーフ) (@ROCKMH7010) 2021年9月20日
さっきも言った通り、人には絶対長所と短所、表と裏があるので、一面だけで判断すると痛い目見るからね。
本気で信じ合いたいなら、様々な面を見てそれらと向き合ってくことが大事で必須なんだよ。
正にこういうことなんだけれども、もう少し詳しく突っ込んで行こうと思います。
人には絶対、良い所(長所)と悪い所(短所)が、表の顔と裏の顔っていうものがあるのよ。
え?裏表ない人っていないんですか?って思った人いるかもしれないね。
うん、そうだよ、いないよ。
程度の差はあるけどね。
あくまで表と裏の差が激し過ぎる人だけが「裏表ある人」って言われているだけで、そう言われなさそうな(つまり裏表無さそうって言われている)人は、そこまで差が激しくないからそうなっているだけ。
まぁそれに関しては別の機会に書こうかな。
さっきの、世間一般での他人への信頼の真実の章で使った例を出して解説しよう。
「純粋で優しいイケメン」っていうのは、まぁ長所と言って良いよね。素晴らしいよね。羨ましいよね。
でもそういう一面を持った人にだって、「口が悪い」とか「優柔不断」等、何かしらの短所は持ってるわけ。
でさ、短所って隠そうと思っても隠せるものじゃないじゃん、どこかで出るものだし。人って長所より短所に気付きやすいし尚更ね。
んで大事なのは「その人の短所を見たときの対応」なわけよ。
実際はそこが信頼と期待の分かれ道だと思うわけ。
「純粋で優しいイケメンだけど口が悪い」っていう人の「口が悪い」の部分を見てどうするか。
すぐに何の気無しに「無いわ」と手のひら返して絶交したのであれば、「純粋で優しいイケメン」という一面への過度な期待、そんな程度の薄っぺらいものってわけ。
じゃあ本当に信頼している人はどうするのか?
おそらく、「どうしたの?」と聞いたりして行動や言動の真意を確かめる、など、疑いはするけど即切りはしない、といった感じになるだろう。
あくまで一例だけどね。
まぁ要するに、悪い所(短所)を間近で見てもなお、本気で付き合えるかどうか、それが分かれ道ってこと。
次はこちら。
「ダメなものはダメと言えるか。」
2つ目の要素がこれです。
これも結構重要。
特に自分自身は無関係なときね。
相手が「金の無駄遣い」であったり、犯罪などの、要するに悪いことをしようとしているときに、たとえ自分は無関係でも、その人を止められるか?または止めようとすることができるか?というのは信頼においてはかなり重要。
とはいえ否定し過ぎるのは良くないから、これに関しては難しいかも。
1つ目の要素にも言えることだけど結局は、その人自身の全てに向き合う覚悟があるか、ということ。
それを無くして信頼は成り立たない。
本当の信頼は、相手と向き合う覚悟である。
そしてそれは両方向であるべきで、一方通行であってはならない。
と言っても過言ではないから。
だから軽々しく言うべきものじゃない。
本気で好きなら、本気で大切にしたいなら、絶対に忘れてはいけないよ。
今回はそんなお話でした。
クソ長くなったけどこの辺で。
ではでは。