どもども。
7月も早くも中盤だね。
元気してるかな。
今日は、ふと思ったことがあるので、それを綴ってみることにするよ。
結構長いので注意ね。
どっちが正しいかって論じられることがあるよね。
まぁそもそもこれらは何なのかと。
まず性善説ね。
性善説っていうのは
人間にはもともと善の端緒がそなわっており、それを発展させれば徳性にまで達することができるとする説。
という意味。
次に性悪説ね。
性悪説っていうのは
人間の本性は悪であり、たゆみない努力・修養によって善の状態に達することができるとする説。
という意味。
一応これらの意味の解説はここから引用したものなので、詳しく見たいならこっちも見ていってね。
さて本題はここから。
多分これはかなり割れると思う。
結論…というか俺の意見を先に言うと
どっちでもない
と思うのよね。
何でかって?
じゃあとりあえずそれを解説するために、性善説派と性悪説派の主張を見て行こうかね。
まずは性善説派。
彼らの主な主張はこちら。
子供は本来無垢な存在であり、後天的に様々なことを刷り込まれ人は悪行を身につける。
また人が本当に悪な存在なら、他者に共感したり、それで涙を流すこともせず、他人を助けるような利他行動もしないだろう。
ざっくりとだけどこんな感じね。
次は性悪説派。
彼らの主な主張はこちら。
子供は無邪気なだけに残酷である。成長し学ぶことで物事を弁えることが出来るから。
後天的に何を学ぼうが、結局人は戦争をしたり憎み合ったりする。「人の不幸は蜜の味」というように人の幸福を望んでいない、悪い噂はすぐ広がるのに良い噂は全く広まらない。
こちらもざっくりだけどこんな感じ。
一応参考にしたのはこれね。
もっと色々な意見見たいなら調べてみるといいかもね。
さて、これらを踏まえた上で何で俺があんな意見を持ったのか、ということ。
それはこう。
人って誰でも良いとこ悪いとこあって、完全な人間なんていない。性善説派のように、共感したり、涙流したり、他人を助けたりできるような素晴らしい人もいれば、性悪説派のように人の不幸を喜んだり、人を利用して弄ぶことに何の躊躇いを持たないような死ねばいいのにって思いたくなるような人もいる。
だから人は本来、善悪両方持って生まれて来るけど、育った環境や人間関係、そのときの状況、個人の意志や思想など様々な要因で善にも悪にも染まる。
大体こんな感じ。
だからなんでも、「理想だけじゃなく現実を見ること」や「ぱっと見の一面(表面上)だけで判断しないこと」などが大事だったりするわけよ。
まぁ要するに「視野は広く持っておこう、そしてよく観察して考えよう、その場の勢いとかも大事だけど何でもそれだけで決めるべきじゃないよ」ということね。
ちなみに初めて引用とか使った。
そのせいかめちゃくちゃ長くなったわ。
まぁ今後のみんなの人生に何か活きれば良いな。
今回はこの辺で。
ではでは。